最近の写真展の展示、作品が粗いというか、少々雑に思えています。
作品の展示の方法が雑なのか、作品自体が荒れているのか。。
写真て、一枚一枚、丁寧に、頭で考えて、時には直感的に、けれど丁寧に撮るものだったはず。。
けれど、デジタルの普及しすぎで、安易な方法を選ぶが故、作品のクォリティーにまで、その心と
丁寧さが消えてしまっているのは間違いない。。残念なことに
手をかけ、試行錯誤を重ねて創る「作品」ならば観る側にもそれは伝わります。
でも今それがない。
何も伝わってこない、足が止まらない、観ていてワクワクしない。。
そもそも、デジタルとフィルムを一緒にして展示する写真展は根本的に撮影者の心意気が違うと
思うので、観る側にしても別カテゴリーにしてもうらいたいのが本音。。
だって、古いカメラを駆って、高額なフィルムを使い、チャンとスプールが回っているか、光線漏れしていないかという不安を抱きながら、光学式の暗くて、小さなファインダーのみ唯一の情報とし、頭の表現回路を最大限にぶん回して、イメージしながら、露出、シャッタースピードを表現に合わせマニュアル調整し、シャッターをチャージし、一枚一枚きり、そして、次のフィルムを敏速にチャージする。。
デジタルと明らかに違い、モニターを見ながら、自動露出のカメラを気に入るのが撮れたのを確認できるまで
バッテリーが続く限り何枚も何枚も切り続け、偽色のCCD素子を通してメディアに画像データを保存。。
それは、差が出ますよね。だからこそ、作品と呼びたくないし、作品として私自身世に出したくないし、あくまで
必要にかられ撮る参考画像、記録画像ということになるわけです。
カメラの進化って何なのでしょう?
こういう大切なものを置き去りにして、創る表現の世界に果たして拘りの心があるのでしょうか?
おかげさまで、ブログ開設6年目を突破した
ここ最近の想いでした(^-^)